2017-12-03

自分がしている努力の量に期待なんてしない方がいい

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セラピストスキルアップ実践会認定講師の宮森大地です。
本日もブログをお越しいただき、本当にありがとうございます。

これは私が個人的に書いているブログの記事から持ってきたものです。
ちょっとしたパンチの効いた話かもしれません。



話に入る前に、ちょっとだけ私の歴史をお話しています。

私の歴史

私は昔から末っ子の特性なのか、世渡りは上手だったようで、学生生活ではそれなりに可もなく不可もなく過ごしてきました。言い方は悪いですが、とくに学校の先生なんてちょろいもんで、それなりにイエスマンをしていれば「素直な生徒」で目を付けられることもなく過ごせていませたし、自分に不都合が生じそうなここ一番の場面で「いや、先生それはこうしませんか?」といった風に、普段イエスマンの私がノーの意思表示をすると全体の流れが変わる、なんてことをよくやっているクソガキでした(中2くらいまで)。中2以降からはちょっと大人に対する反抗も見せたりもしましたが、それは今回の本題ではないのでスルーします。

そんな私でしたが、自分自身の能力を求められる場面(受験だとか理学療法学生時代の実習)ではことごとくボロクソに言われたりしていたので、自分なりに物事を観察したり、考えたり、解釈する能力が低い人間でした。今でも新しい技術や知識を学んでも大抵はすぐにできませんし、ひたすら反復するほかないような人間です。自分でもそのセンスのなさにほとほと呆れるほどで、センスのある人を見るたびにうらやましく思うものです。

先月に行われた頭蓋セミナーの2日間、0.01~0.02㎜の動きを触診していく治療法をお伝えしてきましたが、初参加でも、ある程度サッとできる人を見ては、自分自身のセンスのなさを感じさせられました。私がセミナーで初めて習った時には全く分からなくて、泣きながら半年間、毎日母親の頭を触り続けたあの頃を思い返しました。

私がある程度の技術を習得するまでかかったこの半年間という期間が長いのか短いのかは個人差があるのでしょうが、少なくとも私自身にとっては非常に長かったです。母親の頭を触っていても、その場で正解を教えてくれるガイド役もおらず、正解か不正解かすらも分からないまま続けていくのは非常にストレスでした。いつ、この努力の成果が出るのか、そもそもこの努力の方向性は合っているのか、今自分が歩んでいる道の先でたどり着くであろう到達点は自分が求めている場所なのか…そんな不安とも闘っていたんだな、と少しノスタルジックな気分になりました。

こんな経験を繰り返してきたので、私は自分がその時している努力の量を過信しないし、期待もしません。結果が出ないうちは「まだまだ努力が足りないんだな」と思うだけですし、結果が出たら「それだけやってきたんだな」と割とドライです。達成感や充実感を感じられないという点では、損な性格をしている気がします。

とにかく今回セミナーをやって思ったことは、あらためて自分のセンスのなさを思い知らされて、私は泥臭いことをやっていくしかないんだな、再確認しました。歴史は繰り返すのです。個人の歴史でも。


私から見た他人の努力

私自身がそんな経験をしているからなのか、私のやっていることを見て「なんか簡単そうに見えたので」とか「すぐにできそうですよね」なんて感じで学びにきて「思ったより難しいですね…」みたいにすぐに根をあげる人を見ると、ちょっとばかりは苛立ちを覚えてしまうのが正直なところです。自分のセンスや努力の量に対する期待値が大きすぎるように感じます。

大した努力もしていないくせに、コンビニで買うインスタント食品みたいな感覚で習得した技術なんて、臨床において役に立つことはほとんどないでしょうし、そんな付け焼刃の技術で、時間とお金を投資したのにも関わらず、体をこねくり回される患者さんの身にもなってほしいもんだぜ、と思ってしまいます。

私なんかよりもはるかに努力をしている治療家さんはごまんといるのを知っていますが、それと同じくらい、もしくはそれ以上に努力をしない治療家さんがいることもこの2年半ほどで知りました。

私自身の経験からも、楽をしようとしている限りは技術や知識の発展はありませんし、何も変わらないことは明白なようです。


大切なのは基礎の反復

大抵の人は応用が好きなようです。能書きの多い総論よりもより深い内容の各論、基本的なテクニックより見た目が派手な応用のテクニックなどなど、おそらくは総論より各論、基本より応用の方がより具体的だからこそ「分かりやすい感じ」がして好きなのかもしれません。しかし、それはしっかりとした基礎の上に成り立っているのだということを忘れてはならないのです。

今回、私がお伝えしてきた頭蓋仙骨療法という治療法では、0.01~0.02㎜の動きを6~12/minのサイクルで動く全身のリズムを触診すること、そしてわずかに触れられる頭蓋骨の縫合を触診することが技術の基礎になります。そしてそれぞれの骨の動きや、それが生まれるメカニズムを学ぶ解剖学が知識の基礎になります。それらをおざなりにしたら上手くいきませんし、それこそ応用も利きませんし、基本を押さえていないということはそれから外れたものかどうか(技術が適合しているかどうか)の判断もままならなくなる可能性すらあるのです。

基礎の反復は、やはり知識と技術を確固たるものにするために必要でしょうし、しっかりとした基礎の上に自信が生まれるように思います。今回、さらっとできたセンスのいい方々にも、基礎の反復を大事にしてほしいと願っています。

ただ、今回のテクニックだけではありませんが、おそろしく基礎というものは地味なので、続けられない方が多いのもまた事実なのですが…。


努力なんて期待しない方がいい

「ここまでやってきてまだなのか…」なんて言う方がたまにいらっしゃいますが、もし、あえてその努力の量を時間に換算して指標とするならば、語学の世界における1,000時間理論や10,000時間理論を例にすると良いかもしれません。

人から認められるようになるには、1,000時間の努力の積み重ねが必要であり、超一流や天才と呼ばれるようになるにはその10倍の10,000時間の努力の積み重ねが必要である、というものです。

これらを考えれば、私があの頃、母親の頭を触り続けた半年間(約180日)では、到底1,000時間にすら及ばないでしょう。長くて30~40分でしたから、あって90時間程度です。私もまだまだ人から認められるレベルまで努力をしているとは言えないということです。そしてさらに大事なことは、天才と呼ばれるようになるためには、10,000時間の努力だけでなく、いくつかの幸運といった要素も、きっと必要なのでしょう。
報われるのかどうかもわからない努力を黙々と続けられるかどうか…
気の遠くなるような時間を経て、得るものは一体何なのか…

やはり、自分がしている努力の量になんて期待しない方が良いでしょうね。
弱音を吐く前にひたすら基礎の反復をした方がよさそうです。
気が遠くなりますが、がんばっていきましょう。


本日もブログを読んでいただき、本当にありがとうござました。
それでは、また明日。


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