本日もブログにお越しいただき、本当にありがとうございます。
大阪スクールを5、6月とやりました。
操体法を一切やらないスクールでとりあえず喋りまくっています。
もう少し実技をしないといけないので反省します…。
さて、本日は「エビデンスに固執する人は思考停止している」というお話です。
※大いに偏見を伴った内容なのでご容赦ください。
どうも日本人は“科学的”という言葉に弱いようです。
“エビデンス(科学的に根拠)のある治療”なんていうと凄そうな感じがします。
私もセミナーをやっていて「なんだ、エビデンスないんですね」と何度か言われたことがあります。
私も理学療法士免許を持っているので、エビデンスは大事だと思います。
しかし、本日はちょっとだけ「エビデンスエビデンスうるせーよ」というスタンスで記事を書こうと思います(笑)
そもそもエビデンスとはなんでしょうか?
そもそも科学とはなんでしょうか?
(何事も疑問を持つことから始まりますよね、科学も〇〇も…)
さて、エビデンスには「エビデンスレベル」というものがあります。
いい資料があったのでブログでは図を載せておきます。
エビデンスレベルの分類自体もたくさんありますが、エビデンスレベルが高いものには『1.システマティック・レビュー』や『2.ランダム化比較試験』などがあります
このレベルでは、ある事象に対してたくさんの研究結果が集積されていて、規模が大きくなった結果、質の高い状態で研究された事象に対する傾向が見えている段階です。
おそらく“エビデンス”のイメージはこの辺りの「研究結果の集積とその傾向」にあるのではないでしょうか。
ところで、エビデンスレベルの低いものには『5.症例報告』や『6.専門家個人の意見』といったものがあります。
これはつまり、専門家個人の意見ですら「エビデンスがある」ということです。
これをお読みのあなたも今この瞬間から突飛なことを言っても「エビデンスがある」わけです!
この時点で「エビデンスがあるかないか?」は重要ではないですね。
エビデンスレベルはどうか?
研究の段階はどうか?
データをどのように解釈しているのか?
この辺りが重要になってくると思います。
そして、このエビデンスを出す方法として科学が用いられることが多いです。
科学という言葉の意味は広いですが、調べてみたところ「一定領域の対象を客観的な方法で系統的に研究する活動」だそうです。
「客観的な方法」ですので、科学実験では条件を一定にします。
誰もが同じ条件で実験することで、その結果を比較検証できるようにするためです。
もちろん、誰もが同じ条件で実験し、同じ結果が出たらそれは再現性が非常に高いものだと言えるでしょう。
しかし、その研究の多くは「あなたではない誰か」が出したデータです。
そしてその研究された条件が「臨床の場面」と異なっていたらどうでしょうか?
「あなたではない誰か」が「臨床場面とは違う限定された条件下」で出されたデータは、果たしてあなたの発言や治療の裏付けや根拠になり得るのでしょうか?
あなたの目の前の患者さんに当てはまるものなのでしょうか?
(自信満々に説明しているその理論は患者さんに合っていますか?)
少しややこしくなりましたので、整理します。
私は科学を否定しません。
科学を用いることで知ることのできることはたくさんあるでしょう。
それを活かし、救われる方も多いでしょう。
しかし、それを臨床で用いる際には、どうしてもあなた自身の視点が重要になります。
私はそれが「治療哲学」だと思います。
もうお分かりだと思いますが、科学も哲学も臨床においてはどちらも大事です。
いわゆるエビデンスのある文献を読み漁っている人を見聞きしたことがありますが、その方は確かに勉強熱心なのでしょう。
しかし、私はそう言った方は思考停止していると思います。
他者の出したデータを信頼しすぎると、思考の柔軟性が欠如するように思います(個人差があると思いますが…)
要はエビデンスも使い方が重要だと思います。
あなたはエビデンスと患者さんとどう向き合っていきますか?
本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
それでは、また来週お会いしましょう。
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それでは、また来週お会いしましょう。
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宮森大地
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